[第1章]両親の苦労を見て思った将来への不安

両親の苦労

兄弟が5人いるのに孤独だった

 

びっくりされるかもしれませんが、僕の家は5人兄弟7人家族です。

 

長男が僕、弟1人、妹3人です。

 

少子高齢化が叫ばれる現代で考えるとかなり多いと思うかもしれませんが、沖縄だとそこそこあるんですよこういう家庭笑

 

 

 

しかし、小学校の頃にはまっていたゲームやプラモデルなどの趣味は、妹たちの趣味とは全然合いません。

無理やりゲームの相手をさせてみたこともありますが、負けたら泣くのでそっちのほうがめんどくさかったです笑

 

弟は6歳離れていてゲームの相手ができるわけもなく、プラモデルは壊される危険性のほうが高かったので一緒に遊ぶことはありませんでした。

 

家に友達が来てもゲームをすることは許されず、一人でゲームをして過ごす日々を送っていました。

 

 

過去の記憶を思い出してみても、小学校時代はテレビゲームとプラモデル、中学校時代はテレビゲームとスマホゲーム、高校時代はほぼパズドラでしたね笑
(毎日5時間くらいはパズドラしてました)

 

 

 

家でそんな生活を送っていると1人での生活に慣れてしまい、学校でもだんだん1人のほうが楽だと思い、単独行動することが増えました。

 

 

そしてしまいには、「俺はだれの力も借りず、一人で生きていくんだ!」と考えるようにもなりました。

(このころからだんだんと感情が消えていきました・・・)

 

 

家族のために家族と一緒にいられない父

 

僕の父は地元ではそれなりの大きな会社で働いています。

 

おそらくそこで働いていなければ、子供5人を生んで育てることはなかったんじゃないかと思います。
(沖縄の平均年収200万とかですからね)

 

 

 

しかしその収入と引き換えに、僕ら兄弟が父と遊ぶ時間はほとんどなく、朝は少し顔を見たらすぐ仕事に行き、夜は僕らが寝た後に帰ってくるか、帰ってこないこともよくあります。

 

大学生になってようやく父と仕事の話をするようになりましたが、

・人手不足で一人当たりの仕事量が膨大

・通勤時間往復2時間(沖縄では稀)

・それなのに仕事できない人がいる

・仕事ができる父だけ仕事が増える
→周りの人は2個の仕事、父は5個の仕事を任されたりしたそうです

・なのに給料同じ

という労働環境で、話を聞いている限りいい会社とは思えませんでした。

 

 

さらに僕が高校生の時には過労で体を壊し、1カ月ほど入院したこともありました。

今は復帰しましたが体はボロボロなので、毎週整体に通って体のメンテナンスをしています。

 

 

「社会に出て働くってこういうことなの・・・?」

と僕は思いました。

 

 

父の現実を見ていたために、やりたくもない仕事を選んでしまうとどんな将来になるのだろうという予測がつき、だんだんと社会人になることが怖くなっていきました。

 

さらに、テレビをつけたら過労死の問題がニュースやSNSで取り上げられていて、「いくら給料が高くても体壊したり死んだりしたら意味がない」と思うようになりました。

 

 

お金が原因で自分の生活費にほとんどお金をかけない母

 

僕の家は裕福な生活ができるほどのお金はありませんでした。

 

 

確かに父の収入は沖縄の平均と比べれば高いほうかもしれません。

しかし、家族7人ともなると食費や広いアパート、移動するための大きな車など、生活コストがどうしても高くなってしまいます。

 

大学に入って父から言われました。

 

 

「母さんが自分のために何か買っている姿を見たことあるか?」

 

 

なかったです。1度も。

 

 

 

母は子供を優先して、自分のためにお金を使うことはほとんどありませんでした。

 

 

服はずーっと同じでした。2~3種類の服だけで何年も生活していました。

 

家で一緒にご飯を食べたこともほとんどありません。

子供たちがご飯を食べた後、1人で余ったおかずを食べるか、おかずが無くなったときはサラダだけ食べて終わり。という日がよくありました。

 

化粧をしたり髪を染めたりしている姿もほとんど見たことはありません。

美容室に行くこともなく、髪が伸びてきたら僕が手伝って適当な長さに切っていました。

 

 

それにもかかわらず、僕らは服を買ったり、家でたくさんご飯を食べたり、美容室で髪を切ることができました。

 

僕が友達と遊びに行くときも「昼ご飯代」と言って1000円をもらっていました。

 

テニスをしていた時は1本3万円のラケットを3本も買ってもらいました。

シューズやウェアも買いそろえてくれました。

テニススクールにも通わせてもらいました。

そのようなことを兄弟5人に格差なく与えていました。

 

 

今になってその時を思い出すと泣きだしそうになります。

本当に感謝しかありません。

 

 

父もその姿を見ていて、

「母にそんな思いをさせてしまっている自分が情けない・・・」

と言っていました。

 

 

「お金がないと、全てを我慢して生活することになるのか」

 

 

給料の高い職場に入れたとしても仕事ばかりで家族を過ごす時間もなく、さらに体を壊すリスクがある。

給料が低いと生活のために自分の生活費を減らしていくと我慢の日々を送ることになる。

 

どっちに転んでもいいことが全くない。

 

 

将来への恐怖はどんどん大きくなっていきました。

 

 

プライドと完璧主義で冗談も言えない少年

 

親の影の努力のおかげで僕自身はのびのびと生活していたかというと、そんなこともありませんでした。

 

小学校ではそれなりに勉強もできたし運動もできたほうでした。

 

 

しかし、進学した中学校では3つの小学校から人が集まってくるので、単純に人数が3倍になりました。

そんな中だと、「体が大きい」「勉強ができる」「運動神経が高い」など、自分より能力の高い人がごろごろいるわけです。

 

 

僕に誇れるものなんて何一つありません。何をやっても上がいます。

片方だけならまだしも、勉強もスポーツもどちらも万能な人もいるのです。

 

完璧主義でプライドが高いので、みじめな自分を知られるのが嫌になり、性格は消極的になっていきました。

 

小学校ではクラスの中心で騒いでいた人が、中学校に入った瞬間空気になりました(笑)

 

 

勉強に取り組んで「勉強できるキャラ」になろうとも思いましたが、国語と英語が苦手で席次を上げることができず自信を失いました。

 

 

小学校時代に自分を支えていた自信もろく崩れていきました。

 

 

自己開示ができなくなっているので、周りの人からは「良くわからない人」「不思議な人」と言われていました。

 

自信がなく小学校は男とばっかり遊んでいたので、女子と話せません。

どう接していいのかわからず、とりあえず嫌われないように声のトーンを変えて話していました(笑)

 

クラスの中心にいる人と絡むと面倒なので、できるだけ空気になってこそこそしていました。

 

 

今はそんな自分を受け入れられますが、当時は自分が本当に嫌いでした。

人に自慢できるものが何一つなく、勉強も中途半端、スポーツも微妙。

自分は価値のない人間だと思っていました。

 

 

 

そんな僕でも、中学3年生の時はそれなりに楽しみました。

クラスの中心にいる人が僕と一緒に遊んでくれて(絡まれただけ?笑)、そこから次々と仲良くなり、クラスで話せる人が増えました。

 

「終わり良ければ全てよし」という感じで、学校行事も楽しめて、そのおかげか、中学生活はそれなりに楽しかった気がしています。

 

 

しかし、そんな時間は長くは持たず、仲良くなったにもかかわらず高校受験で離れ離れに・・・

 

さらに高校では、中学よりももっと広い範囲から人が集まり、自信のない僕は再び苦手な友達作りを始めなければなりませんでした・・・

 

第2章に続きます

[第2章]大混乱!迷走して抜け道を使って合格した大学受験

コミュ障大学生が月70万稼ぐことができたわけ

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